今日、長男くんの就職が決まった!
少し前に彼女さんも就職が決まり、
2人は今年大学を卒業したら、来年からお仕事がスタートする。
高校のときはゲームばかりして、
大学もギリギリのところでなんとか入れた。
当然やりたいことも目標もなく、ただ何となく通っていただけだったけど、
やりたいことを見つけてからの彼は本当に変わった。
あれだけゲームばかりしていた人間が、
今は試験が終わったときに少しするくらいで
とにかく勉強、勉強で忙しい。
決して天才肌な方ではないので
ひたすら、めちゃくちゃ努力して頑張っています。
ただ、グループでの共同作業は毎回大変そうで、
分担したものをちゃんとやらない人がいると、
いい成績を取りたい長男としては、その分を自分でやるしかない。
とても生真面目な性格なんでね、
それが毎回ものすごくストレスになっているのがわかる。
社会に出たら理不尽に感じることが今よりもっとたくさんある。
何もかもを一人で背負いこんでいたら精神的に参っちゃうから
今のうちにもっと要領よく手を抜くことを覚えてほしい。
きっと大学は勉強だけでなく、
そういった人間とどう向き合っていくかを学ぶところでもあるんだなと思います。
次男は要領よくひょうひょうと生きていく能力があるので何も心配していないけど、
長男は正反対の性格でちょっと気難しいところがあるので気がかりなのです。
そんな彼がこんなに頑張ることができて大きなチャンスを掴むことができたのは
彼女と出会えたことが大きい。
そして彼女のご両親にもいろんな面で、
まるで我が子のようにアドバイスや手助けをしてもらっている。
本当に人縁に恵まれているなと思います。
ありがたいことです。
今日はホッとしたのとうれしいのとで1日中小躍りしてます。
お片付けついでに、
コレクションのミルクグラス棚も
手にして "ときめくもの" と "ときめかないもの"に振り分けました。
コンマリさんのお片付け方法。
ミルクグラスに夢中になり始めたころ、
まだサルボとかセントビンセントで
1つ50セントとか1ドルぐらいで安くで買えたし、
レア物にも巡りあえた良き時代。
あのころは貪欲に節操なく集めまくった。
だから棚の中に入り切らず箱に入ったまま物置におきっぱなしのものや、
全然好きでもない柄のものとかもたくさんある。
今回、ときめかないコレクティブルを集めてオークションに出しました。
好みじゃない柄のミキシングボールの寄せ集め、
これを1ドルで出品してみたら、なんと200ドルちょっとで落札された。
誰かの不必要は誰かの宝物。
ここ最近はオーストラリアのパイレックス
AGEE PYREX または CROWN PYREX のミキシングボウルが
高くで取引されているようです。
イギリスの JAJ PYREX のミキシングボウルも揃うとお高くなる。
落札したおばちゃん、パイレックスをオンラインショップで売っていて、
同じ柄のボールが4つ揃うと高値で売れるので
彼女は柄もののミキシングボールをとにかく集めまくっているようです。
こんな感じで同じ柄が4つ揃うと高額になる。
なんか麻雀みたい。
受け取りにきたおばちゃんに、
うちではリーチにもなりそうにない半端ものを2個おまけであげました。
ロンできそうかな?
これでコレクション棚の中はときめくものだけになりました。
今回ファイヤーキングのいらない物も出品したけど、
こちらは値段がほとんど上がらないままでした。
どちらかといえば、パイレックスよりもファイヤーキングの方が
ミルクグラスの色合いがやわらかくて好きなんだけどな。
今はパイレックスの方が人気があるみたいです。
ファイヤーキングのバターボウルとDハンドルマグ。
このDハンドルマグを初めて手にした時が、ミルクグラスにはまった始まりです。
そのファイヤーキングよりも更にミルクグラスの色味がやさしくて大好きなのが、
Duralex のカップ&ソーサー。フランスのミルクグラスです。
デュラレックス、今はグラスが有名だけど昔はミルクグラスも作っていたんですね。
60年前のものです。
ジェダイとターコイズ、どちらも甲乙つけがたくきれいな色。
光が当たったときの透けが本当にきれいです。
これを磨く時は、特に慎重に指輪もはずして細心の注意をはらって磨く。
この際棚の中の物を一気に全部磨いちゃおうと1つ1つだして磨いていたら、
細心の注意が途切れてしまい、タンブラーを倒してしまいました。
よりによって一番かわいい赤の水玉タンブラーにヒビが入っちゃった。
無傷で6色全部揃っていただけにショックが大きい。
ガラスのヒビ、なんとか修復できないですかね。
修復といえば、
少し前に夫が車の後ろを駐車場の低くなっている天井にこすってきた。
先日点検に持って行ったついでに、さささっと修理してくれるか聞いたら
250ドルで修理してくれるというのでそれでお願いしました。
そしたら途中で電話がかかってきて、思ったよりもキズが深かったので
パーツを取り替えてなんだかんだで1000ドル以上するから
保険を使って修理した方がいいよと。
保険は使いたくなかったので、
完璧にしなくていいから250ドルでなんとか見た目をよくしてくれるようお願いしました。
夕方、修理されて戻ってきた車があまりにもひどかった。
キズ部分を研磨することもなく、ガタガタのキズの上から
タッチペンで塗ってみましたよって感じでものすごく雑な仕上げ。
本当にがっかりした。
レクサスさんもさすがにこれで250ドルは申し訳ないと思ったのか、
「サービスで車全体をきれいにポリッシュしておきました」と言う。
そんなん頼んでないし。
よくこれで250ドルもチャージできたな。
見た目が汚いので
AAMIに電話して、AAMIが使っている修理屋さんを紹介してもらうことにしました。
紹介してくれたとこはコストコの近くにある修理屋さん。
夫がこすったキズの他、随分前に石ころが飛んできてついた小さな凹みキズも
ついでにやってもらおうと両方でいくらになるか聞いてみた。
2箇所の修理で400ドルだって。
レクサスでは、きれいに修理するなら1000ドル以上と言われたのが、
ここでは400ドル。しかも別の箇所の凹みキズの修理も込みでこのお値段。
あまりにも違いすぎるから、
また雑な仕上がりにされるんじゃないかと不安だったけど、
へこみも塗装も完璧にきれいに修理してくれました。
ちょっと強面のお兄さんだけど、おすすめの板金屋さん。
またミルクグラスの続きになりますが、
昨日は別の落札者がどしゃぶりの大雨の中、受け取りにきた。
ピックアップの日時を決めるためのメールでのやりとりで
すごく感じのいい人だなーと思っていたけど、
実際に会ってみたら、やっぱり思った通り。
まわりをふわっと明るくする雰囲気をもった人。
笑顔がとっても素敵で、すらっとした若くてかわいい女の人。
今回全部1ドルスタートで出品して、
彼女は結構な数のミルクグラスを数ドルで落札したのだけど、
受け取りにきたときに、
これだけの数のミルクグラスを数ドルでは申し訳ないからと
多めの額を払うのですよ。
売れなかったら寄付するつもりのものだったし、
こんな素敵な女の子から多くいただくわけにはいかないから、
玄関先でしばらく押し問答。
おばちゃん、強引に突き返しましたよ。
毎年日本に遊びに行っていて特に福岡が大好きだと言う。
「私は福岡で生まれ育ったのよ!」と言ったら、
福岡のいろんな写真を見せてくれました。
でもさ、私がいたのは30年も前の福岡。
ムーミン村とかキャナルシティとか言われても分からなかったけど、
京都とか北海道とかが大好きという外人さんが多いなかで
福岡が大好きと言う外人さんには初めて会ったのでうれしかったですね。
この鬱陶しい雨でどんよりな気持ちも
昨日はこの方のお陰で素敵な1日になりました。
またいつかご縁が会ったらお会いしたい。
自分が買った現行品の物、まだ自分が生きているうちに
それがビンテージになって高値がついていることに驚いたのがついこの間。
そういえば30年前に買ったカルティエの時計はどうなんだろう?と
ネットで調べたら、これもビンテージ扱いで高値がついている!
あの時計はどこ?
と、そこから宝探しが始まった。
心当たりの場所を全部探したんですけどね、見つかったのは箱と保証書だけ。
肝心の中身は見つからずじまい。
不思議と、探しているときって見つからないもんなんですよね。
いつかぽろっと出てくることを期待して気長に待ちます。
時計は見つからなかったけど、家中探しまわっているときにこんなの見つけた。
Vilac の子供用の傘。
22年前にニースで買った傘。
1度も使わないまま物置の奥の方にありました。
今見てもすごく可愛い。
他にも、袋の中からくしゃくしゃに丸まったエルメスのスカーフが出てきた。
もう30年以上も前の物。
うちにはエルメスのケリーバッグもあるんです。これも30年以上前の物。
普通だったらこんな高級バッグ、縁のないものだけど、
私のおばさんが昔デパートでお仕事をしていて、
年に数回パリのエルメス本店に買い付けに行っていたのです。
安くで買えたかどうかは知らないけど、
おばさんが「良い物を1つ持っていなさい」とくれたもの。
こっちはこんな高級バッグを持ち歩く機会なんてほとんどないから
そのお陰で30年以上経った今でもとてもきれいな状態です。
もしかしたらこのバッグの中に時計があるかも!と
久しぶりに出したついでにワックスできれいに磨きあげました。
大好きだったおばさん、もう亡くなってしまったけど、
いろんな国に旅行に行き、その都度その国から絵葉書を送ってくれた。
今思えば、私が海外に憧れたのもこのおばさんの影響なんでしょうね。
オーストラリアにワーホリで行こうと決めたとき、
海外に行くことを反対していた父を説得し、
当時入ったお給料は全額使い切って貯金なんて1円もなかった私のために、
オーストラリアにいく資金を出してくれた。
昨日は時計を探しながら、もう忘れていたいろんな記憶がよみがえってきた。
今私がここで幸せに暮らしているのは、
おばさんがものすごく大きく関わっていたんですね。
感謝しかない。